2015年10月18日日曜日

亀田興毅引退に思うこと

亀田興毅選手が引退されたということで久々に考えることがありました。



今こうして、亀田3兄弟を回顧してみると、
06年の長男・興毅vsランダエダ戦と07年の次男・大毅vs内藤大助戦以降、
本質を見ないでトチ狂ったように批判のみ行う、
世間の声が多かったような記憶があります。




亀田興毅選手は、正直言うとチャンピオンを名乗れるような実力はありません。
ファイトスタイルも、KOできるようなパンチ力とかが無かったため、
ひたすらアウトボクシングに徹し、判定を狙う形を貫いた。
過去の試合で面白かった印象も特に無し。
マッチメイクも初期の頃はかなり有利な物が多く、
作られたチャンピオンであることは否めませんでした。



ただ、スパっと「嫌い!死ね!」「ボクシングファンを舐めるな!」と
思えない部分として、
彼のここまでの生い立ちにかなりツラい部分があったことがどーしても
チラついてしまうからなんですよね。




それは、3兄弟の父・史郎氏の存在です。

僕が中学生の頃、よく「ZONE」(※TBSで放送されてたドキュメンタリー番組、亀田3兄弟が世に出るきっかけとなった)を見ていたのですが、3兄弟がよく史郎氏に恫喝まがいのボクシング指導を受けてたシーンが映っていました。

彼らは義務教育すら父親のエゴで受けることもなく、
対外試合に負ければ怒鳴られ、会場にそのまま置き去りにされてるようなこともザラ。
「お前らがダメなら亀田一家は終わりや!」など、
子供にプレッシャーをかける耳を疑うような発言もよく見ました。

プロになってからも、
3兄弟の「このベルトは親父にプレゼントしたい」、
「でも俺らは親父がいないとダメなんです」とかね。


僕は、彼らの歴史が史郎氏による虐待の産物だと思っています。
亀田3兄弟の根本的な問題は、ボクシング界を掻き乱したとか以前に
亀田史郎という一人の人格破綻者が、
息子達を「世界チャンピオンになりたい」という自分勝手な夢のために、利用し虐待し続けた事実があったことなのではないでしょうか。



今となっては、3兄弟の数々のビッグマウスも、
大人に助けを呼び求めていたようにしか見えないです。
色々ボクシングファンとして思うことはありましたが、
亀田興毅選手お疲れ様でした。

2015年5月30日土曜日

再起動のお知らせ

このブログではお久しぶりです。

約2年ほど沈黙しすぎており、
イマイチ復活するタイミングを見失っておりましたが、
そろそろ色々と書いていこうと思います。

本日は宣言のみですがどうぞよろしくお願いたします。

2013年3月31日日曜日

トゥキョー



ルーキー/サカナクション
作詞・作曲 山口 一郎
-----------------------------




東京へ移住しました。






ついにというか、
いよいよ来るんだなーいうこのワクワクと不安がいりまじる気分。


思えば小学校1年生の時から学生を名乗っているわけでして、
それから大学4回生までですから16年。
たかだか3月31日から一日またいで4月1日になるだけで、
人は特に脱皮したり見た目が変わるわけでもないのにほんとに不思議なものです。




結構新しい環境に慣れるのに時間がかかるタチでして、


村中→八高
八高→佛大


それぞれの移行期も結構苦労しました。


きっと社会人最初も苦労するんだろうなという不安がちらついてるのですが、
今日東京駅に降りた瞬間。
なぜかワクワクの方が上回りました。




すごく安易なフィーリングですが、
なんとかやってけそうな気がします。





この1年ほどで将来なりたい像は創れました。

あきらめは悪いので、

少しだけ運も良いので、

これからたくさんたくさんたくさん勉強して、

「面白い社会人」になろうと思います。






最後に、ただ一つだけどうしても恐怖を消せない物が・・・。













「寝坊」




基本的なことなので生活習慣気をつけます。
では、このへんで。

2013年3月20日水曜日

2つの卒業式を終えて

幸福が遠すぎたら   
           寺山修司

さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう

さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛は何だろう

さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう



さよならだけが
人生ならば
人生なんか 

いりません
------------------


昨日3月18日をもって4年間所属した佛教大学を卒業致しました。
8日に行われた京都学生祭典の卒業式と併せて2つ。
学生のうちに通過する行事を全て終えたことになります。




「京都学生祭典」




最初に入った学内のサークルでそりが合わずすぐに辞めて、
よくある五月病にかかってた私に、
高校時代からの友人が第7回時の祭典チラシを見せてくれました。
なんとなく興味が沸きGW明けに説明会に行き広報部に加入。
その後、この団体で3年間を過ごしました。



3つの時代。
7th:広報部メディア
8th:広報部副部長
9th:副実行委員長



とても頼もしくかっこよく厳しく優しかった諸先輩、
一緒に祭を創った同級生、
かわいいかわいい後輩のみなさま、
未熟な学生を相手にしてくださった職員さんや大人の皆様。


広報部、執行部、三役で過ごした日々。



楽しかったこと、
哀しかったこと、
全ての喜怒哀楽と出来事が何物にも代えがたい宝物です。



「佛教大学」



入った頃、
なんだかんだと大学に難癖をつけていた私。
思えばなんとも虚しい事をしていたのかと今思います。
無い物ねだりはよろしくない、
でもしてしまう。


情報メディア実習で一緒に作品を創ったこと、
長光先生のブラックジョーク、
ゼミの個性豊かなみなさん、
大場先生の指導。



4年間しっかりと学ばせていただきました。



------------------
この素晴らしい夢のような4年間を過ごせたことを、

広報部のみなさん、

祭典人、

大学の友人、先生方、

母、祖父母、親族の皆様、

亡き父、

京都という街に感謝申し上げ、

学生生活を修了します。


本当にありがとう。

2013年3月7日木曜日

欧州紀行編集後記

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
- 鴨長明『方丈記』-






欧州より帰国してちょうど1週間が経ちましたので1ヶ月の出来事から感じたことをつらつらと。
文章の前後関係が急激に変わるため読みにくいですがご容赦ください。







自分の感覚が日本での生活に落ち着き始めたので、
この1週間は、社会人になる前の1ヶ月もの貴重な時間を使って
なぜ旅に出たのかを少し考えてみました。

-----------------------------
・卒業旅行
→時期としても表現としても一番しっくりくる。しかし、本心はそう思っていない。

・世界の美しい絵画や建造物を観るため
→旅に出た理由の一つ。ただこれだけではなにか惜しい。

・本場のフットボールを観るため
→旅の中で最もテンションを上げたのはここ。
私はそれを自覚しているし、この事象は確実に私の見識を広げた。
しかし、少し惜しい。

・小さい頃からやってみたかった
→もう一押し!
-----------------------------






で、結局なんだったかと申し上げますと。






『自分の精神・知識の弱さを補完し、自分をタフにさらに強くするための旅』







これが一番しっくりくる表現かなと思います。
(私は「自分探し」という単語が生理的に大嫌いなので、それとは一線を画してるつもりです)







今回の旅は一人旅(ここには非常に拘りました)。何もかもが自由。
でも裏を返せば、地理感も言葉も知らない異国で自分のアンテナをフル動員し生きていく必要があったわけです。



また特に留学でも無く学校組織とか何かに守られているわけではないので、
その場でひったくりや強盗に刺されて終わり。
旧市街の裏路地で10人くらいに囲まれてリンチに遭う。
という結末もあり得たわけです。


そこまでのリスクを払って、
親族の皆様に心配をかけてまでこの旅を行った理由は今の自分をさらに強くしさらにタフにするためであったかなと思います。
非常に危険な形の自己満足とも言えますね。



余談ですが、小さい頃に私が世界を観てみたいと思ったきっかけに、
『MASTERキートン』(浦沢直樹、葛飾北星、長崎尚志原作)
の存在があります。

主人公は日英ハーフの平賀=キートン・太一。
考古学の専門家。だが大学研究職にはなかなか就けず保険組合のオプ(調査員)をしながら大学を廻るという就職活動を行っています。7カ国語を操るマルチリンガルでバツイチ。
かつて学生結婚し離婚した数学者の元妻への未練を断ち切るためだけに、
SAS(イギリス陸軍)に入隊したという面白い男でもあります。

この作品は非常に欧州の描写が綺麗なのです。
現地の風俗や文化を的確に描いており(それはこの旅で確認)、
私はキートンになったつもりで旅をしていました。


----------------------------------------------------------


異国で観たもの感じたものについて。

まず、言語のお話。
この旅では英語ベースで物事を進めていたのですが、
「こんにちは」と「ありがとう」だけは現地語を使っていました。
私からのその国への礼儀として。


ドイツ・オーストリアでは「Guten tag.」「Danke.」
フランスでは「Bonjour.」「Merci.」
スペインでは「Hola!」「Gracias.」
イタリアでは「Buongiorno.」「Grazie.」


この2つを使うだけで相手は満面の笑顔になってくれます。
それが凄くうれしかった。


次に、はるかに日本より優れていると感じた点。



「生活」です。



欧州人は安息日である日曜日はしっかりと休み、度を越した労働はしません。
彼らに過労死という概念はほとんどありません。
決して経済大国ではないんだけど、
仕事よりも家族を大事にしている彼らの表情には日本人には無い満ち足りたものがありました。
夜は独りでぷらっとホテル近くのレストランやBARで食べていたのですが、
海外の人は家族や友人や恋人との会話を非常に大事にしているのが伺えました。
笑顔でワインと肉を食べながら3時間くらい談笑しているんです。
凄く、幸せそうに。



闇の部分。
そこらじゅうに乞食や物売りがいました。
必死に生きている姿。
きっと彼らの中にはなるべくして乞食になったものもいれば(そういうのには基本同情しない)、身なりからもともと地位はあったけどEUを覆う失業の波に巻き込まれたであろう方もいました。
世の中は決して平等じゃない、不公平なものだという私の感性はさらに強くなりました。
そして、非常に自分は恵まれているんだと再確認。


----------------------------------------------------------

この旅は私の中で非常に表層的であったと思いますが、

街を歩き、

教会に行き、

そこに暮らしている人の感性を感じ取り、

レストランでご飯を食べ、

フットボールを観て、

色んな物を学びました。


そして私自身予想を超えるスピードで海外の生活に適応できたので、
自分自身まだまだ強くなれるなと。



最後に、
多大なるご心配をおかけした家族・親族の皆様。
このような稚拙な内容のブログをずっと見て頂いた友人の皆様に感謝を申し上げて欧州紀行を修了いたします。
(※このブログは今後も継続します。)



2013年2月28日木曜日

最終日 フランクフルト・アム・マイン~ヘルシンキ~大阪~京都

無事に帰国いたしました。
まず最初に、この旅にご援助頂きました家族・親族の皆様に。
そして、このブログを1ヶ月もの間読んでいただいた全ての皆様に感謝を申し上げます。
まだ今後もこのブログは書き続けますのでお付き合いくださいませ。





さてさて帰国までの道程を。
ホテルの空港行きシャトルバスを9時半に予約していたので8時に起床。
全ての準備を済ませ、いよいよ空港に。




ターミナル2に到着。
慣れたもので搭乗手続きは何事も無く無事に完了。










パニーニとコーラで朝食を済ませ、
ヘルシンキに向かいます。
最後のドイツは晴天でした。




約3時間のフライト。
何事も無くヘルシンキに到着。





外気温は2度。
 

 




iPhoneの充電をしながら、
静かに大阪への便を待ちます。

静かに終わりの時が近づきます。





無事に搭乗。
さよなら欧州。またいつか。



約10時間のフライトでは、













レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』
映画『バットマン・ビギンズ』(※アメコミではバットマンくらいしか知らない)
宮沢賢治、北大路魯山人、魯迅。
小島プロダクションと棚橋弘至のポッドキャスト。


ありとあらゆる手段を使い暇を潰しました。










そして。











無事に帰国しました。
 








特急はるかに乗り。





京都に帰還。
 








生きております。
無傷で。






旅の総括はまた後日書かせていただくとして。
ひとまず眠ります。





もうしばらくお付き合いください。

2013年2月26日火曜日

25日目 ミラノ~バーゼル~フランクフルト・アム・マイン

本日もひたすら移動でした。




9時半に起床。
確実にガタがきている身体を叩き起こし、
ミラノ中央駅に向かいます。











まずは中継地であるスイスのバーゼルを目指します。










約4時間の旅路。

眠ったり、

チャンドラーを読んだり、

ポッドキャストを聴きながらひたすら列車は走ります。



車内でパスポートを警察に見せ、
イタリアから国境を越えると見事なスイスの山脈が。
 





無事にスイスのバーゼルへ到着。










乗り継ぎまで40分ほどありましたので、






お昼を食べて風邪薬を飲みます。













駅構内のスーパーに寄った際、
通貨がユーロからスイスフランに変わっていたので購入できるか不安でしたが、
ユーロも使用可能だったので無事に購入できました。




そしてインターシティーユーロに乗り換え、
フランクフルト・アム・マインへ。
またまた約4時間の旅。
ドイツ系の高速列車は指定席予約が不要なので余計な手間がかかりません。




そして揺られること4時間。
フランクフルト・アム・マイン駅に到着。











ケバブとカリー風味ソーセージで夕食を済ませ、
(何気ない売店だったが非常に美味かった)













空港駅へ移動。
そして先ほど20時半にチェックイン。
約9時間かけてミラノから移動したわけですね。




乗車に使用したユーレイルパスも本日で役目を終えました。
だいぶ長く持ち歩いていたからボロボロ。




記入した駅と列車の履歴は宝物です。















いよいよ空港も目の前、
明日の午前11時過ぎのフライトで中継地点フィンランドのヘルシンキへ飛び、
そこから関空までのフライトとなります。
帰国は27日の午前中になります。
久々の帰国になりますがちょっと成長した自分を見せれれば幸いです。



ではまた日本で。